ドナルド・キーン

三島は(1957年の)半年ほどの滞在中にオペラやミュージカル、バレエ、演劇などに足しげく通った。私は時間があるときにはガイド役を買って出て、意外な場所にも案内した。アムステルダム大通りの百二十丁目にあったコロンビア大の書籍部だ。三島が「ラテン語で地名表記された月の地図が欲しい。どこかで買えないか」と言い出したので、そこに連れて行ったのだ。 その地図には「Mare Foecunditatis」と記載された海があった。日本語訳は「豊饒の海」。それは三島の遺作の題名でもある。七〇年に三島が自決する直前だった。私はその題名が気になり、手紙で意味を尋ねたことがある。返信には「月のカラカラな嘘の海を暗示した」とあり、「日本の分断に絶望」とも書かれていた。豊かな才能に恵まれながら「何もない。カラカラだ」と虚無感にさいなまれた天才、三島。既に自決を決めていたのだろう。私は、その文面に背筋が凍りついた。